Mind Circus

雑記

2004年05月

 昼御飯を食べた後、ロフトには行かず、駅の正面の2階にある店を見ていた。その後に友達から自転車を借りて、アーケード街へ行ってみた。懐かしのシータショップを皮切りに、アーケード内、一番町、官庁付近を歩いた後、今度は東口に戻り、ネカフェ「ファンキータイム」で休憩。
2時間くらいネットやら雑誌を読んだ後、ホテルのチェックイン時間に合わせ、ダルマ薬局で飲み物、セブンイレブンで晩飯を買って帰った。東横インに行った後は一気に疲れが来てしまい、飯、風呂、寝るとなってしまったが、古い東横インのためか、空調がショボくて、良く眠れなかった。

 夜中に目が覚めてしまい、散歩も兼ねて、榴ヶ岡のファミリーマートへ。自分も含めて、「夜中になにやってるんだ?」って感じの人がいた。榴ヶ岡付近をぐるっと回った後、結局はまたセブンで飯を買った。
明け方のナポリタンを食べた後、ニュース始めるまで暇なのでゲームボーイSPを取りだし、朝までゲームw

 朝になり、ニュース見ながら支度をし、出掛ける前にまたシャワーを浴びた。雑誌を買うため、LAWSONへ。その後のホテルの用意した朝ごはんはたいした物もなく、後から食べることにし、雑誌を読むことに。
ようやく、チェックアウトの時間が来たので、まずはヨドバシへ行き、その後にミルキーウェイに行ったら、最初の客だったようで、ガラーンとした店内にちと戸惑う。

 いつもと代わり映えのしないチーズハンバーグと、ドリンクバーを頼んだ。店内はちらほら人が増えだし、長椅子に横になっている行儀の悪い老人がいたが、旅先ということもあり、注意したりするのはやめた。

 

《2016年2月29日(月)に追記》

 12年も前なので、コンビニとファミレスで食事取ってもたいしたダメージもなかった訳だが、今、こんなことすると胸焼けしたり、吹き出物があちこちに出そうw
我ながらあり得ない食生活だ。これが、この後の巨大化に繋がってしまった訳だなと反省。これを反省し、ダイエット始めたのは2006年の秋頃から。以後はPodcast聴きながら良く歩き、冷凍食品やコンビニの商品はあまり食べなくなったとさ。人に歴史ありw

 休む日をゴールデンウィークではなく、平日を狙って遊びに行くことにし、予め、早く寝て、夜中のサッカーのチャンピオンズリーグに備えていた。夜食はスパ王。朝になるのを待って出発したが、何と満席。かろうじて、喫煙席の通路側を確保した。
後から知ったのだが、団体客の旅行とスケジュールがかち合ってしまったようだ。良く調べれば良かったなと。車内でゲームボーイSPやるのは恥ずかしいので、ひたすら小説か煙草の繰り返しだった。

 朝のラッシュの仙台駅の東口に着くと、ヨドバシ前の辺りに工事の囲いがしてあった。いつ完成するのか?また来たときには完成しているのかなと思っていたが、実質、これが最後の小旅行となったため、完成を見ることはなかった。
ヨドバシ開店前に散歩。東口近くのセブンイレブンは混んでいたので、懐かしい榴ヶ岡の店へ行ってみた。おにぎりなどを買って、榴ヶ岡公園で食べた。

 朝のヨドバシは、人気あるゲームの発売日だったらしく、朝からレジの前が行列。自分もそうだけど、平日の朝から「君たち、仕事や学校はないのか」状態だったw
ゆっくりゲームコーナーを見られないので、一階の携帯電話などを見たり、普段は見ないような家電を見て時間を潰した。その後、レジが空いたのを見て、欲しい物を買った。

 西口へ回り、EBeanS内のドラッグを軽く見た後、三階で休憩し、予定を変更して帰ることにしたため、切符交換を済ませた。
食事は何処にしようかと考え、地下を見ていたりしたが、結局は三階の蕎麦屋で、天丼を食べた気がする(記録なし)。食べ終わる頃、じいさんと相席になった。少しだけ会話して、会計し、さあ、午後からはどうしようかとなった。

 

《2016年2月27日(土)に追記》

※この時点では、秋田県にセブンイレブンがないため、里帰りすると良くコンビニで何かを買っていたが、さすがにアラフォーになった今ではコンビニとファミレスだらけの食事はあり得ないなと。
今やヨドバシはネット通販でも買えるけど、この頃は思い出の場所へ足を運ぶことが楽しみの一つになっていた。

 2月に出たファミコンミニのラインナップだと、ほぼ子供の頃にやった事がある物ばかりだった為、様子見を兼ねてマリオとマッピーだけ買った。しかも、両方ともポイント値引きなのだが…。
今回のは子供の頃に持ってなかった物が多く、友達の家で友達がやってるのを見てた物ばかりで、欲しくなり、ついつい3本も買ってしまった。完全に任天堂の思い出商法に引っ掛かってる感じ…。ツインビー、ゴエモン、ディグダグがそれ。

 懐かしい物を手にすると昔の思い出がよみがえり、その所為か日記の方も本当に小さい頃のテレビから、まだバブルの余波があり平和だった高校の頃までと、同年代の人達をターゲットにした日記を書いてる。
これは私なりの同年代に対するメッセージなので、この日記を昔の仲間達が読んでいたら嬉しいな。父親は東京生まれながら私は田舎育ちだったから、みんな高校を出れば県外に就職、進学していたのだ。故に、18の春以降はほとんど友達には会ってない。

 あの頃の友達は今、何をしてるんだろう?君達も同じように昔を懐かしんでるかい?偶然、街で会う事があれば酒でも飲みたいね。

 GEOにて延滞料金が発生すると言う事件が起きた。変だなと思ったが、私のミスかと思いお金を払った。しかし、良く考えるとちゃんと返却したはずだ。
私は間違いなく返却BOXに押し込んだはず。延滞料金が発生するはずがないので本部にメール。次の日の夜、早速、店から電話がかかって来た。

 店員によると後日、お金を返してくれると言う。いろんな事が駆け巡り内心はかなり不安だったが、単なるコンピューターの処理ミスかと安心した。が、いざ店に行ってみると余計に話がおかしくなる。
「5本」借りた内の3本はちゃんと返ってるらしいが、何と、残りの『2本』が2日後に返っていると言うのだ!そんなわけね〜だろ、馬鹿じゃね〜のか!

 ならば、2日の間はDVDソフトは何処へ行った?もしかして店員のミスを責任転嫁していないだろうか?店長さんの苦笑いがやけに気になった私。
毎日、ちゃんと返却BOXを確認してるのだろうか?まさかその日に限って返却BOXを見てないのでは?などと、沢山、店長さんに言いたい事はあったのだか、あまり追究しても私がクレーマーっぽく映るだけだし、仕方ないので引き下がるしかなかった…(-.-;)

 此処はレンタル安いしセール中の買い取りは高いし、良く行く店なので事を荒立てたくなかっただけの話。もし仮にほとんど行かないような店なら今頃はf^_^;
…間違いなく説教してると思います(苦笑)

 最後にこれだけは言いたい。「怪しい」と。

 元々、子供の頃は少年隊(現中年隊)の錦織が好きで、今の老けぶりからは想像も付かないほどカッコ良かった。その当時はむしろ東の方が冴えない顔をしていたのだ。昔、人気があったのが嘘みたいのはトシちゃんも一緒か。
俺等が子供の頃は光ゲンジの歌が流行ったりして、掃除の時代にスーツケースの中に〜♪と歌う奴もいた。だから別に男でジャニタレ好きでも不思議はなかった。

 シブガキ隊、オトコ組、たのきんトリオなど、男からも人気があるグループが沢山いたしね。
意外と芸能人の中にもこの辺に憧れてた人も多く、ナンちゃんはマッチ、ダンディはトシちゃんなど、それぞれジャニーズ系のタレントが好きだったとか。なので俺は別にボーイズラブを語るつもりはない。

 最近だと女の子に人気があるのは山P(山下)だが、山下君はいくらなんでも人相が変わりすぎだろう。
悪い噂も沢山あるし人気者は態度悪いのが多くて、後藤真希との噂で散々、叩かれてたような気がする。

 てな訳で、何もジャニタレでなくても構わないが、ヤンキーっぽい奴ならビーバップハイスクールとか、子供の頃は誰かしら憧れた有名人っていただろう。
特にビーバップとか見て変わった奴もいたね。
中に仲村トオルの事を普通にナカマと呼ばずに、わざとアクセントを変えて呼ぶ役者がいたりして、それを真似するのが流行った時期がありました。

 此処数年のドラマで言うとIWGPも良くないね。あれが放送されてから変に意気がるガキが増えたし、20歳前後はみんなストリート系の服を着てみたり。
マコト(長瀬)みたいなまとめ奴がいればいいが、現代っ子は無責任に暴れたり騒ぐだけだしね(苦笑)

 マコトのようなキャラがいればまた違うんだろう。昔はヤンキーでも暗黙のルールがあったもんだが…。
現代の意気がったガキにルールはないのだろうか?そう言う意味では昔のヤンキーの方が筋が通ってる。

 既に10年も前になる高校の頃の修学旅行。あの頃はバブルの余波がありまだまだ平和。私達の頃は私達の頃で子供の発育が良かったが、勿論、今の10代の子達の非ではないが(苦笑)
それでも一世代前よりは体格は良かったのだ。そんな高校の頃を思い出す写メが送られて来た。最初、珍しく写メが来たからなんだろうと思った。受信してみてびっくり!修学旅行の写真だった。
やはり今の子からすればみんな小柄に見えるし、見た目だっていかにも当時の高校生だ。
それに比べたら今の10代の子の大人っぽさって何?

 みんなツーブロックにしてるよ(笑)
私までかろうじてツーブロックになっていた。
10年前だけに女子達のスカートややが長いぞ(笑)
やっぱり女子も今の子達の大人っぽさには及ばない。どう見ても70年代に生まれた子供に見えたよ。

 

 今と昔を比べながら当時を懐かしんでいた。
あの頃、携帯電話があれば私達は違ってただろう。コミュニケーションを取るツールになったはずだ。が、まだ当時の高校生達はせいぜいポケベルだった。
中にはピッチを持ってる奴もいたがそれは一握り。急速な勢いで携帯電話が普及しだすのはその後。そう私等の学年が高校を出た後の話だった。それ考えると今の高校生が羨ましいかも。

 

 芸能人は本当の歳を言ってるとは限らないが(笑)、取り敢えず公表されてるプロフィールを見ていた時の事。
学生の頃は2つ違うだけでかなり大人に見えてた人が、今、思えばたった2つしか違わないんだな〜と感じる。

 いかに学生の頃の2つ差が大きかったかが分かる。やっぱり1年でも早く社会に出たり大学に入るのって、精神的な差がモロに出やすい年代って事だろうか?
年下でも高校生だとまだ考え方がガキだったのに、専門または大学に行った途端に考え方が大人になる。それがさらに就職したりすると…(以下略)

 そんな訳で今週のサッカーダイジェストを読んでたら、市原の茶野選手のインタビュー記事が載ってたが、私達が高校の頃はツーブロックが流行った事を思い出す。
今は今で20歳前後のがみんな同じ恰好してるが、昔は昔でツーブロックにチビTとか流行ったんだな〜。私は髪が長くなってくると軽いクセが出る髪質だから、
ツーブロックが出来ずに後ろを刈り上げてました。ツーブロックにしてる奴が羨ましかったんだよな〜。

 当時はポータブルMDを持ってる奴はまだ少なくて、私の通学のお供と言えばカセットテープだった。それはパナソニックの最新型だったが分かる人はいる(AM・FMラジオも聞けるタイプ)?
当時、大好きだったザードばっかりテープにいれ、実はジャニタレに憧れてた私はスマップとか聞いてた。今、聞くとあまりに下手すぎて話にならんのだが(笑)

 そんな私がサイト作るとは思わなかったな〜。トキオの小島とか中年隊のニッキのページとかね。まさか約10年後はこんな生活してるなんてな〜(苦笑)
ハッキリ言ってもう10年早く生まれたかった。バブルは弾けたとはいえ学生の頃は平和だったし、いつしか不況の波に飲み込まれてしまった私等の世代。日本を駄目にした馬鹿な政治家は責任とれ!(+_+)

 岡野は割り切った育て方をしてたから終わるのが早かった。スーパースターを雇うと飽きるのが早そうなのでレッズ狙いで。
最初、福田正博か田中達也の架空を育てようかと思ったが、永井なら実名だしエデットする必要もないので永井にした。

 過去の3人と違いプレイヤーランクはスーパースター。しかし、岡野の初期値と比べても能力値に違いはなかった。

 

18歳 背番号18 バーミンガム(英)

 契約金の2億に釣られてバーミンガムと契約するも、選手層の厚さに阻まれて試合に出られず早くも移籍を決意。岡野の時に能力の伸びが良かったル・アーブルへ移籍。

 

19〜20歳 背番号18 ル・アーブル(仏)

 ワントップの一角を担い順調にゴールを決め出した矢先、ついてない事に全治4週間の怪我をしてしまう。

 20歳。活躍が認められ日本代表入り。スタメン確保!しかし、ウェールズ戦の前半で怪我をし無念の途中交代。以後、日本代表に呼ばれる事はなかったとさ…。
その後、怪我をしたままリーグ戦に出されてしまいに怪我が悪化。気分を変える為に移籍志願。独のチーム狙いでオファー待ち。そこそこ育成面が充実しているブレーメンへ移籍。

 

21〜22歳 背番号18 ブレーメン(独)

 ファン・ニステルローイの架空がいる為にサブ暮らし。彼は30過ぎてるので数年後には試合に出られると思い、仕方ないので1年間は体力作りの為の期間と割り切る。

 22歳。ふとスタメン候補を見るとサイドMFが弱い。此処なら試合に出られるんじゃないかと思い監督に直訴。
見事にスタメン確保。パスカットとサイドチェンジを武器に、ゴールを決める一つ前の展開を作る事を心掛けた(地味ではあるがこう言う選手がいないと試合には勝てない)。

 

[参考までに去年好調時の浦和の例]

 ※去年の浦和で言うと内舘がカットし大きく展開した後、田中か山瀬が持ち込みエメにパス。それをエメが決めゴール。
雑誌やニュースで絶賛されるのはエメだが、大切なのは内舘のパスカット&ロングパスがあった事。つまり大きな展開があったらこそ得点が生まれた訳で。

 中々、パスが回って来ないサイドMFの苦悩を味わいつつ、勝手に玄人好みのプレーもカッコイイなと勝手に納得。今のにわかファンにはこの役割が理解できるだろうか?(笑)
にも関わらず、結果を残せないチームは下位に低迷。翌年、ライバルが加入しさらに違うポジションへと移る。

 

[プライベート関係]
 ジーニ、ルクレッツア、ロージーナと知り合う。ロージーナは岡野の嫁さんにしたので他の二人狙いのはずが、ブレーメンに移籍した為に彼女関係は此処で終わりに。
21〜22歳。心機一転、ドイツに移り彼女候補も一新。それぞれジーン、ローザ、グリセルダと知り合う。高級マンションの最上階に移り住む。

 

23〜25歳 背番号18 ブレーメン

 ライバルが加入しサイドMFからトップ下へ移る。試合には全く勝てなくなりチームは低迷期に入る事に。ほぼ見せ場もなく永井育成に限界を感じつつあった。
24歳。今季もトップ下。個人的には連続ゴールを決めるが、チームはさらに低迷。13位と昨年より順位を下げる。さすがに愛想が尽きそろそろ真剣に移籍を考える。

 25歳。ファン・ニステルローイはいなくなったが、入れ代わりで強力なFWがやって来た為にFWは断念。今年は左MFをつとめる。コトブス戦で退場処分に…。
面倒になりおまかせ育成にしたら全治7週間の怪我。さらにプレイ意識を2つほど失う悪循環に見舞われる。さらにチームは17位に低迷し、契約を打ち切られてしまう。

 

26歳 背番号7 ドルトムント


 この頃になるともう一人のキャラの育成を強力する為に、おまかせ練習にし、4週目のみ手動で嫁とデートする日程。ベンチ入りした事は一度もなかったがチームは優勝。

 

27〜28歳 背番号10 ボルフスブルグ

 ベンチにも入れなかったのでおまかせにしたまま様子見。監督の信頼が高くなって来た8節、やっとベンチ入り。
10節、ついに念願のCFのポジションを獲得する。そこそこのゴールを決めたがチームは12位に終わる。

 28歳。シーズンが変わった途端、レギュラー陥落。さすがに永井にも飽きて来たので10月一杯で引退。最後の記念に一戸建てと高級外車を購入して終わり。

通算成績 22勝61敗15分。アテンダント転身。
アマチュア。最終移籍金・約4憶4千万円。

 

[プライベート関係]

23歳 グリセルダと別れる
24歳 恵美、マーセラと知り合う
そろそろ結婚を考えローサと2週に1度のデート
25歳 バグを恐れ何度もデートしてから慎重にプロポーズ。1週間後、あっさり結婚承諾。6月4週には第1子誕生

26歳 ローザ、第2子を妊娠
27歳 次男誕生
26〜28歳 ほぼ第四週目のみ嫁とデート

 

[コメントの変化]
相手DFをスイスイとすり抜ける、丘の上の半魚人。ドリブルで数々のピンチを切り抜ける、ピッチの軽業師

 

[感想枠]
 岡野よりもランクが高く最初の移籍金が高かったが、日本代表に呼ばれた事が回数などで差が出た感じかな。能力的には岡野より上だったが移籍金が低いまま終了。
ちょっと若い頃の移籍の仕方を間違ったかなとも思うが、途中から浅野の子供が出て来て、愛情に差が出たのが悪かった。

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